父親の仕事をする姿に感銘して

母さんは考えていコメント

ダサイというわけでしょうか。
これはどうも幼い頃からの
他人に迷惑をかけない人間になりましょう一辺倒の教育の、弊害のように思います。もちろん他人に迷惑をかけないことは、社会に生きる人間として最低限守らねばならない基本的なルールです。しかしあくまで最低のルールなのです私たちは生まれてから死ぬまでの間、あらゆる人々のお世話になりながら生きていきます。今この世にいる人たちだけではありません。過去に生きた人々の築き上げたものの上に、私たちの生活はあるのですから。そして私たちもまた人を助け、未来の世界のために何かを残さなければなりません。
なぜこんな当たり前のことを、最低のルールをしつけると同時に教えないのでしょうか。

  • 母親ではない
  • 育てることを考えてほしいのです。
  • 子どもを産んでさえ

経験すら奪いかねません。

他人に迷惑をかけないだけの教育からは他人に迷惑さえかけなければ、何をしてもいい
という発想しか出てきません。
これでは個性的であることの意味などないでしょう。
森進一さんのおふくろさんという歌に、雨の降る日は世の中の傘になれよと教えてた……、そんな歌詞があります。笑われるかもしれませんが、すばらしい歌詞だと思います。古かろうがダサかろうが、人が何のために生きるのか、その真実だけは永遠に変くれわらないのです。
人のために役立つ人間になりなさい
おふくろさんあなたも子供にであってくださいと教えられる
まずお母さんが精一杯に生きなくては【禁句】
お母さんなんかどうなってもいいの。
あなたさえ幸せになってくれれば……【名句】「お母さんも一生懸命に生きていきたい。
そして、あなたも一生懸命育てて幸せにしたいの」
お母さんはね、あなただけが頼りなのよ

あなたのためなら何でもするわ。お母さん、自分はどうなってもいいのこんな大げさなセリフを、ごく日常的に使うお母さんは、意外なほど多いのです。子どもは今

育てるときの指針にしてほしい。
育てるときの指針にしてほしい。

勉強の進度の速

ごく軽い気持ちで口ぐせのように言っているというより、本当に子供だけが生きがいなのでしょう。
これを受け止める子供の側は、どんな気持ちなのでしょうか。

ああ、お母さんはこんなにボクを頼りにしてくれている。頑張ろう。
頑張らなければなどと健気に決心する子供がいたら、とんどの子は
ああ、またか。冗談じゃないよなぁちょっと会ってみたい気がします。
残念ながらほと、心の中でタメ息をついているはずです。なぜなら、一見深い愛情から出ているようなお母さんの言葉が、実はそうではないことを、子供はよく知っているからです。
こういったタイプのお母さんには、二つの特徴があります。一つは自分の夫にはほとんど、あるいは、まったく期待していないということ。

母親のことをよく思い出します。

だから、夫に託せない夢をいっさい子供に押しつけてしまうのです。なかにはそれを露骨に口に出してあなたにはお父さんみたいになって欲しくないのよ
などと言うお母さんもいます。
そしてもう一つの特徴は、お母さん自身の人生をいいかげんにしか生きていない、ということです。
確かに親の最大にして唯一の仕事は、子供を立派な人間に育てることです。けれどもそれは、自分の人生はどうでもいいという意味ではありません。一社会人として人生を真剣に受け止め、精一杯生きていない人間に、どうして子供を一人前の社会人へと教育できるでしょう。結局子供のためにという大義名分は、いいかげんにしか生きていないことの言い訳にすぎません。

母さんからもらっていて

自分も幸福になれるお母さんだけが、本当に子供を幸せにできるのです。

くだらない人間は相手にするな

私は日本橋から八キロ、歩いて11時間足らずの、中仙道の宿場町に生れ育った生家は自家営業で、父が事業のためにたくさんの投資をし、その投資をしたまま死んでしまったので、多くの借財が残された。若い母に課せられたのは、四人の子供の養育と借金の返済だった。多くあった家作の収入は、借金の返済に当て、母は働かなければならなかった。と言っても兄弟が九人あったので、その一軒ずつで手伝うことであったが。父がいなくて、母が外に出る家。境遇の激変。そんな場におかれた私は、一人遊びのたのしさを知るようになった。また小学校三、四年から童謡や童話をつくり、十三、四歳から日記をつけるようになった。大人になってからの十年、二十年は、自分がどこで、どう変化したのかあまり深い印象はないが、十代の日の自分自身の成長、あるいは変化というものは日々に新しく、大きなおどろきをこめて記憶にとどめられている。これは私だけでなく大方のひとが、似た思いを持っていると思う。

母さんと二人で外出してもことはありません。
母さんと二人で外出してもことはありません。

母親としてあるい

育ちゆく年代というものは、つねに外界との接触に新鮮な、大人になると珍しくなくなってしまうけれど鮮烈な印象を与えられる小学校時代、その上の学校、それから、女の子であれば当然、頃。それらはそれぞれの節をつくって思い出せば忽ち、その日、浮んでくる。
女としてのしるしを見たその頃、その年のことが片親で育って、先ずはじめの大きな衝撃は、父の死と共に、環境がまるで変ってしまったことである。建坪一五坪くらいの家に住んでいたのを、他人に貸して、その家賃を借金の返済に充てることとし、今度は建坪三○坪、つまり五分の一くらいの小さな家に引越した。


子どもは今 子ども部屋に置くにして 子どもらしい遊びを実現する時間がなかったのですす