母親は生まれながらに胎脂を与えたとえ自分が死ん

育てること言葉で教えると同時

大体11キロ半から111キロの距離なので、歩きながら私は、道の両側にあるお寺をほとんど覚えた。お寺があるとどこにでも入って行ったのだから、ひとは変った子だと思ったかもしれない。
母からは、「夕方になるとひとさらいが、大きなかごや袋を持って子供を連れに来て、その中に入れ、中国に売るのだ」とよく言われていた。酢を飲まされ、どこかの骨を抜いてクニャクニャの人間にして、サーカスに売られてしまうという話も聞かされた。その頃はいまのように痴漢はいなかったのであろう。おかしなひともいなかった。
私がお墓場が好きだったのは、多分お墓場の石がものを言わず、沈黙を守っている姿にひかれたのであろう。凝然と立っていて、実におごそかである。そこにはそれぞれの死があり、墓石を前にして、おのずから厳粛になり、心が引き締まる。

  • 子どもに育っていくはずです。
  • 子供にこれだけ尽く
  • 子ども用の小さな布団

子どもを可愛がることから始まる

それが気持よい。
ぎょうぜんまた、町の道を歩くよりも、お墓場の道の方がよく清掃されていて、花もあってきれいだ。私はふとっているせいか、柔らかいものより固いもの、あたたかいものより、冷たいものにひかれる。また、
この子は体温の高い子だとよく言われ、私が六つのときに亡くなった祖父は、この子を抱いて寝ると温いから、懐炉がわりになると言って、いつも私を抱いて寝ていた。お墓場の石は冷え冷えしているので、一人でその感触をてのひらで味わい、ごめんなさい、ちょっとお席を拝借しますと、お墓にあいさつして花台のところに腰かけたりした。
思春期の若者たちは、友達がいなくてさびしいという悩みをよく打ち明けるし、小さい子供の悩みの中でも、一番多いのはやはり友達がいないことのようである。練習のやり方でもめてるんだぁ

母恋しの裏返しの感情でもあろうか。
母恋しの裏返しの感情でもあろうか。

子ども自身の発育の力

そうした悩みから解放されないことが、自殺にもつながっていく場合が多い。ハムスターだけが自分の友達だといって自殺した子がいる。中野区の子供たちの意識をしらべた結果の中でも友達がいないという訴えが圧倒的に多い。
練馬区では中学から高校へ行くとき、仲よしの友達と別れ別れになるのが悲しくて、業式がすむと、すぐに自殺してしまった女の子がいる。
卒自殺をするのに友達と申し合せて一緒にしようとした女の子がいる。一人は死に、一人は死ななかった。徳川時代に盛んに行われた心中、近松門左衛門がとりあげた、大阪での幾つかの事件を、舞台や映画で見るたびに思うのだけれど、どうして二人で一緒に死ぬのか、二人いたら生きる力も湧こうのにといつも思う。一人では死ねない弱い人間が、二人で死ぬのであろうと思うけれど、友を持つなら、つねに生きることを一緒にという友であリカー死なばもろともの友などは持ちたくない。

中学生相手

をやる勇気を出すという場合が多いけれど、に走るというのは困る友があったおかげで、一人ではできないこと友があって、一緒に万引きや家出などの非行昔からよく言われたことだけれど、死に神のような悪い友で持つべきものは友とは、あったらない方がよい。
ところで子供の頃の私は、友達のいないことがむしろ嬉しかった。孤独であることが実に楽しかった。何よりもつねに自分が自由であるということがよい。あるいは、自分はちょっと変っているのではないかと思うほど、あまり淋しいなどと思ったことがない。

父親に限って


つも書く字が汚いせいもあって、自分のことを激しい女と原稿用紙に書くと、しばしば淋しい女とまちがえられて活字化される。そのたびに自分は淋しい女だと思ったことは一度もないのにとおかしくなるお墓場にはだれもいないけれど、石の下にはそれぞれに、かつて生きていたひとが眠っていると思えば、お墓場はじつはにぎやかなところである。何となく歩いていて楽しく、ついひとり言を言いながら歩いてしまうちょっとごめんなさい。ここに腰かけるわとか、あら、このお花、きれいねなどとお墓の石や花に話しかけると、物言わぬ石や花がにっこりとうなずくような気がする。

学校にまで波及して
学校にまで波及して

子どもは外

歌を歌えばお墓場全体にひびいて石も一緒に歌ってくれるようだいろいろと変った墓石を探して歩くのもおもしろい。野原で花をとっての帰り、知らないお墓でも、いつもお花がなくて淋しそうな石に花を供えたり、水をかえてあげたりしたお墓場には無限の遊びがあった。一つのお寺に何回か通い、また次のお寺をさがして入っ一人で遊びに行って、おもしろい場所の一つに、図書館もあった。
人で電車に乗り、児童向きの図書を出してもらって何冊も読んで帰る小石川、日比谷と頭の中には、童話の中の人物や動物がいっぱいつまっていて、いろいろな話の筋をもう一度思い出し、それらのすべてがたのしかった。友達と一緒だと、いつも相手の意向を考え、自分の行動を相手に合せなければならないのが面倒であった。


練習のやり方でもめてるんだぁ 子どもたちの列車の中の姿はどうでしよう。 練習のやり方でもめてるんだぁ