母さんの実感でしょう。

育てるのに大切なことのひとつ

副級長のしるしをわたしながら、男の先生は言われた。これからはお母さんにあまり心配をかけてはいけないよ。宿題帳がおくれたことも何も言わなかった。今思い出してみると、なぜ、ウソをついてまで、学校を休んでよその家に行ったのか。人間には全く、自分でもどうしようもない力に動かされる、あやうい時があるということ、それをうまく乗り切らないと、思いがけない転落が待っているということ、そのあやうい時を、どう無事に乗り切れるか、私の場合は、亡くなった父が守ってくれたと思うのが一つ。心の底にどんなことがあっても、母のところにもどりたいという気持の強かったことが一つ。そして自衛本能が働らいたことが一つ。好奇心の強い子供ではあったが、ここから先は危険ということが自分によくわかっていた。などなどのすべてによるものと思う。
成長に必須の存在です。

父親の復権を助けてやることも悪くない

同時に、非行に走る機会はいくらでもあり、本人は言うまでもなく、親もつねに敏感にそれを感じとって、子供を守ることが大事だと思うのである。

働らくお母さんに言いたいこと

戦後、シナリオを書くために京都の家から東京に出向くことが多かった。そのとき次男が家出をしかけたことがある。カバンを家の垣根の中に放りこんだまま、学校に行かなかった。学校からきょうは学校に来ていませんが……という電話がかかってきて夫がびっくりして調べたら、すぐにカバンが見つかったという。
心配していると、ちょうど帰校時間に合わせて帰ってきた。まさに私の考えていたのと同じことである。そしてこの程度が第一段階の家出である。親はこのあたりで、厳重に子供の気持をさぐらなければと思う。
家出をした少女を餌食としてねらい、売春組織に入れてしまう悪い大人たちがいる。

 

成績は一貫して悪く

私の少女の頃と変らないのである。中学生くらいでも、暴力団につかまって、売春をさせられる話はいくらでもある。少女が逃げないように、まず暴力団のドつばが自分の女にして稼がせる。男の子も、暴力団につかまって、その仲間に入れられる。上野の駅付近は、家出して来た挙動不審の少年少女がいて、それをねらう狼たちの巣であるという私も家出をしたときは、をつけられたのであろう。
きっと挙動不審の女の子だったと思う。
それであやしい男に眼しかし、母は家にあって、亡き父に一所懸命私を守ってくれと祈ったのではないだろうか。荒川の岸に黒い犬があらわれてきて、こわくなって逃げだしたのは、亡き父の心が働いていたのではなかったろうか。
成長に必須の存在です。教育をすることの弊害はとかく知識を詰め込む知的母は、よく私を叱るとき、そんなことをして、お父さんに恥ずかしくないのという言葉を口にした。すぐに立っていって、仏壇にお線香をあげ、お父さんにお謝りなさいと言った。私が片親だったけれども、大きな危険におちいることがなかったのは、父が霊として生きていたからのような気がする。少くとも父は死んでも、家族の中心にいて、その姿なき影響を私たちに与えていたと思う。
近ごろの核家族化された家庭で、親が子供を叱るとき、おじいさん、おばあさんに悪いと思わないかとかご先祖様がどう思うかというような言葉は出てくるのであろうかその家の中心にあって、眼に見えない指導力を持つものは何であろう。私が核家族のひとたちにぜひ勧めたいのは、家の中に祈るもの、拝むものを存在させることである。仏壇や神だなをつくれというのではない。生きている国許のお父さん、お母さんの写真でもいい。
昔は神社のお札などをありがたがったひともあったろうけれど、今はどうか。キリスト教の信者であれば聖画·聖像、仏教の信者であれば仏像でよい。

    1. 母であった。
    1. 母さん方がいます
    1. 学校も誤解しているのではあるまいか。

母親に世話を焼かれることを少しも嫌がらず成人して

とにかく祈る対象になるものがほしい。自分自身が信じられないと嘆くひとにもよくあうけれど、私ははじめから,んなにもろい、こんなに間違いを犯しやすい人間をどうして信じられるのだろうかと、信じたいひとの気持が不可解である。一人で下宿している子供の机の上に、ふるさとの家族の写真を。あるいは父の、母の肖像を。それは拘束材料ではなくて、あくまでもみまもり力を与えてくれる対象としてのぞましいものである。また、人間は野放しの状態にしておくと、とめどないものになりやすい。自分の理性をよびさまし、つねに良識ある状態を保つために、いろいろな方法を考えるべきではないのだろうか。
しつけが適切でどういう
母さんの責任

父親の役割と言えないだろうか。

同じ家の中に住んでいても、父母が働らいていて、子供だけが留守番ということが圧倒的にふえている。家で父母を待つ子供は、何を支えにして自分を制御するのであろう。
外で働らく父も母も、家に待つ子供にたいして、どんな思いをそそいだらよいのであろう
私の子供が小さな家出をしたのは、小学校の二年生のときであった。帰ってきた子にどこに行っていたんだ?と夫が聞くと、大文字山と答えたという。私の家から歩いて三十分くらいのところにあり、一人で登って下りて1時間、遊んでいれば11時間くらいはつぶせるどうしてそんなところに行ったのと聞くと、「大文字山に登ったら、お母さんのいる東京へ行く汽車が見えるかと思ったの」と答えたという。夫はそれを聞いてふびんで叱れなくなったという。
私は仕事のためとは言いながら、ずい分長く家を空けていた。小学校二年生くらいの子供にとっては、祖母がいても、父がいても、やっぱり母が家にいてほしいのであった。