しつけが適切でどういう

子どもたちにとってルール破りの楽しさがないば

空を被うような大木の杉の合間から星が見え、私はどうしていいかわからないのであった。
どこの家も明るい灯がともっている。ひとの声が聞こえる。ああ、私も家に帰りたい。しかし帰れないと思うとひとりでに悲しくなり、嗚咽し、更に大声で泣きじゃくった。
おえ境内のそばの家から、ひとが二、三人あらわれ、どうしたと聞かれ、返事もできずに泣くばかりの私は、派出所に連れて行かれた。私はいつか大ぜいの大人たちにかこまれていた。迷子だ、迷子だと言っている。そして私は何かやれやれよかった、これで助かったという思いになっていた。警官のひとが連れて行ってくれれば、母もそんなに叱らないだろうー安心した気持の中で、やはり、お母さん、お母さんと呼びながら泣いていた。
子どもたちの列車の中の姿はどうでしよう。

子供の方が悪かったということは棚に上げて自分

お巡りさんがどこの子だ、何という名前だと聞く。とっさにウソをついていた。家の名を汚してはいけないというような責任感がパッと浮んだのである。
「巣鴨に母がいて、私は埼玉県の戸田だけれど、母を訪ねてきたのです」というと、ここ千住だよ、一体どこで間違えたんだろう。この子は少し頭がおかしいのかなどと、お巡りさんは首をかしげた。
はそのとき、周りの人垣の中から、下駄をはいた着流しの男が、私はその子がたずねて行く家の三軒隣の者ですよ。この子を連れて行ってあげますと名乗り出た。お巡りさんはほっとした様子で、そうですか、ではよろしくと言い、
よかった、よかったと私にもうれしそうな顔を見せたが、私はこのおじさんはあやしいとすぐに思っていた。架空の住所と名前を言っているのに、知っているとは何ごとかその男は私の前に立ち、「おじさんが連れて行ってあげる。

 

子供にぶちまけるのはやめてほしいということ。

その前にきれいなにぎやかなところを見せてあげよう。そこを見てから行こうね」と言ってしばらく歩いて入っていったのが、吉原の遊廓であった。そのころは張店というやり方がなくなって、遊女の大きな肖像写真が店先に並べられていた。
私は、小学校四年生でも、中学1年くらいの背丈だったから、男は遊女屋のド働きにでも売り飛ばすつもりだったのかもしれない。にこにことしたやさしい声で「どうだ、おねえちゃん、とてもきれいだろう、こういう恰好はしたくないか」などと、遊女の写真をさし示しながら話しかける。
私の町は江戸時代からの宿場であり、遊廓があったから、この女の人たちが遊女だということは一目見てわかった。その頃は、幼児虐待はいけないというような法律はなかったから、小さい子が売られてきて、使い走りや掃除などをさせられているのも知っていた。
そして今に遊女にさせられるのである。この男は、私を売るつもりだな、早くどこかに逃げ出さなければならないと思うと胸がドキドキした幾つかの道を曲って、屋台店のたくさん並んでいる通りに出た。
子どもが自分で教科を選び自発的しつけに当たっては外面も内面私は、両側に眼を走らせ、どっちに逃げようかと考え考え行くのでおそくなる。男が早くおいでよとせき立てた時、おじさん、ちょっとはばかりがしたいというと、男は面倒くさそうに、
しょうがないな、あそこに行ってやってきなと一つの暗い路地を指さしたので、走りこむと
そのまま、路地から路地を飛ぶように、走って逃げてしまった。
広い通りに出て市電を見たとき、あ、これで家に帰れる、とうれしかった。停留所まで走りつづけ、上野の広小路方面に行くのに乗った。そこまで行けばもう知っている道である。広小路から大塚行の市電に乗ったが、あわてて終点ではなく、途中の大塚仲町で降りてしまったので、二十分以上も歩き、王子電車に乗って庚申塚へるので、あとは板橋まで11キロである。

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    1. 子供がもう少
    1. 母さんの仲が悪いとはないのです

母親のように態度

もう十時をすぎていて、両側の店は全部閉まりうす暗い通りをひたすらに走って帰った。母がどんなに叱ってもよい。とにかく家に帰って畳の部屋にすわりたい。お風呂に入りたいと思った。家に近づくと、近所の家の前にみな高張提灯がたてられ、警察の人が何人かいた。学校の先生もいた。親類の人もいて、私が行方不明になったのを心配していた。急にこわくなって、近くの暗がりに身をすくめていたら、すぐ見つけられて、ここにいた
帰ってきたと人々はよろこび、万歳を叫ぶ人もいたこで中仙道にぶつかそのときの母の態度はやっぱり偉かったと思う。いきなり私を抱きしめてくれ、私の頭をかかえこんで泣いた。一つも叱らなかった。母に抱かれたことも、こんなに泣いた母を見たことも、私は生まれて初めてだった。申しわけなさと、無事に家に帰れたことがうれしくて私も声をあげて泣いた考えてみれば、たった一日のことだけれど、ずいぶん危ない目に遭っている。あの荒川の岸で夜になったら、本当に投身自殺したかもしれないし、ぼんやりしていたら、遊女屋につれこまれてしまったかもしれない。
高校生ならば
いじめをやったりそれを苦にして自殺する

子供のために一番よいという

その私をギリギリのところで救ったのは、自分の家の名を大事にしなければという気持、何よりも強烈に母のいる家が恋しいという気持であった。いつも怒って叱ってばかりいるような母。それでも母というものが、どんなにぃいものか、ありがたいものか、よくわかった。二度と家を出てふらふらするのはよそうとも思ったさて、あくる日、この子にはキツネがついたのだろうと、巫女さんが呼ばれた。
とんを三、四枚重ねた上にすわらされて、巫女さんが私の前で何やらお祈りをし、お祓いらしいことをした。
私はふ何やらそのまた次の日、学校に行くと、私は副級長にえらばれていた。男女組で、級長は男の子、副級長は女の子というきまりであった。